【ボスニア・ヘルツェゴビナ】Mostar 戦争の傷跡を見て何を思うのだろう
ドバルダン!
クロアチアで無一文生活をしていたので、やっとご飯が食べれる!!物が買える!!!
ドブロブニクからはバスで4時間ほど、ボスニアのモスタルという街へ行きます。
バスの時間は午後4時と5時があったので午後4時を購入。
東ヨーロッパのバスは遅れることが多いです。
基本いつも30分くらい遅れるので覚悟してバスターミナルに少し早めに到着。
1時間待ってもバスが来ない...
ヨーロッパってもっとしっかりしてると思ってたのに、、
そしてさらに待つこと1時間。
バス来たー!!!
意気揚々とチケットを見せて乗ろうとしたら、
「Change the bus」
周りの人も僕と同じく選ばれし者と弾かれる者が混在して、???状態
詳しく聞くと、これは5時のバスだから4時のバスはまだ来てないからダメとのこと。
いやいやいや、、
同じバス会社でなぜ4時のバスが5時のバスより遅く来るの??
事故ったとしか思えないし、なんならめっちゃ空いてるから5時のバスに乗せてよ...
さらに待つこと30分。バスが来ました。特に謝罪はないのが外国っぽい感じ。
まあ今日中に着きそうだし良かったことにしましょう。
ボスニア第2の都市、モスタルは、ボスニア内戦によって民族浄化を掲げたカトリック系のクロアチア人がイスラム系のボスニア人を攻撃し、今もなおボスニア人とクロアチア人が道路を挟んで住み分けられていて、お互いが行き来することはめったにないそう。
ここら辺の旧ユーゴスラビアはかなり複雑な事情が絡まってて難しい。
世界史をちゃんと学ぶ機会がなかったのが悔やまれます。
旅していつも痛感するけど、僕の人生で数学なんてなんの意味もなかったよ。文系に進んで歴史を勉強したかった。
イスラム建築によって建てられた橋なんです。
橋を支える橋脚を使わずに作られていて、いつかというと、16世紀!!オスマン帝国時代です。
この橋も、前述の内戦によってクロアチア人の手で一度破壊され、ユネスコの寄付などにより、当時の技術を再現して作られ、世界遺産となってます。
ヨーロッパに来てからは、久しぶりに見るモスク。ボスニア人はイスラム教徒が多いみたい。
そして街を歩くと至る所に銃弾の痕跡が
銃弾だけでなく、破壊された建物も。
戦後の日本もこんな状態だったのだろうけど、そこから10数年ですっかり綺麗になって、今も残ってるのは広島の原爆ドームくらい。
戦争を経験していない僕を含めた今の日本の若者は戦争について自分とは関係の無い遠いものと考えるけど、ここに来て、街中至る所に戦争の痕跡が残されているこの街を歩いて、もし自分がその時ここにいたらとか考えるとどうしようもなく怖くなった。
ボスニアの内戦はちょうど僕が産まれたあとくらい。今から数十年経って、日本のように戦争を経験していない世代が増えてもこの建物が修復されずに残るのであれば、たとえ記憶が風化しても戦争の怖さが忘れられることはないのだろう。
日本にいるときは、戦争について映画で見るだけだからちょっとかっこいい、とか思ってた自分がここに来て、なんて浅はかな考えだったんだろうって恥ずかしく感じた。
ぜひ多くの日本の若者にこの国を訪れてほしい。
とても治安も良くて、人も親切なんだけど、今自分が話しているおじさんが戦争を経験していて、親兄弟を失っていて、街中を少し歩くと大量の墓石を目の当たりにするこの街を訪れれば、平和について色々考えさせられると思う。
お墓については、写真を撮る気にもなれないくらい大量の墓石で、そのほとんどが内戦で失われた人々のものでした。
と、少し暗くなっちゃいましたが、本当にいい街で、好きになりました。特にクロアチアから来たので物価が元に戻ってご飯が食べれる幸せ!
ボスニア名物のチェバピ
スタリ・モストは夜景もとても綺麗でした。
明日は近くの村に行ってみます。
そしてここで新企画始動!
「ご当地ビールを勝手に紹介のコーナーです」
行く先々でその国のビールを飲んでるので、せっかくならと思って初めてみました。
個人的な感想なので、異論だらけだと思いますがご了承ください。
値段に関しては基本スーパーの値段です。
日本にいた頃は、オリオンビール、アサヒビールが好きで、海外のビールはシンハービールとか東南アジアの薄めのビールをごくごく飲むのが大好きです。
記念すべき第1カ国目はモンテネグロです。
ボスニアの前のクロアチア、モンテネグロを先に紹介させてください。
Nicsickoビール ☆☆
ドイツ、チェコの強めのビールは好みじゃないのですが、モンテネグロのビールはそこまで強くなかったです。
ただ、個人的にはコクが強すぎて後味もそんなに好きじゃなかったです。
500mlで100円くらい。